整体法の実際に即して、羅針盤となるのは自分の体の内側に起こる共鳴であり、相手の呼吸の状態です。
この2つで探っていけば、相手の体が今向かおうとしている方向、求めているものが自ら現れてきます。
気持よく反応が起こるベクトルに、共に共鳴してゆるんでいけばいいのです。
整体は、一方的に「エネルギーを与える」「気を入れる」という発想では、本人の回復力を引き出すことは出来ません。
人の体というものは、触れられる側の欲求があってはじめて良い反応が起こります。
それが共に響きあう事の本質なのです。
これを野口晴哉さんは、「啐啄」の技術という言い方をしています。
禅の「啐啄同時」から来た言葉ですが、卵から雛が生まれるときに、卵の内側からヒナがカラを突くのを「啐」、外から親鳥がつつくのを「啄」といい、このタイミングが一致しないと命は生まれません。
まだひなの生まれるべきでない時に親がつつけばヒナは死んでしまうし、遅くても出てこられません。
この自然の不思議さを表現した「啐啄同時」は、禅においては、弟子の修行が円熟しているのに気づいて、師匠が「悟り」の機会を与えるタイミングの妙をさして使われます。
機が熟したのを見計らって提議するからこそ、はじめて理解できるという意味です。
整体もこれによく似ていて、無理矢理に治そうとしても治るものではなく、治ろうという相手側の動きがあって、それにちょっと何かをするからうまくいくのです。
内側と外側から同時に反応するからこそ、変化が生まれる。
だから、何も起こらない時には、じっくりと相手の転機を待つことも大切です。
共に響き、その人の体が求めている方向に響きを増幅させていけば、思いがけないほどの回復力が湧き出てきます。
野口晴哉氏と橋本敬三氏の言葉